まちのストーリー

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絆と元気を育む農園はっするファーム/嶋川美穂さん

ダイジェスト映像/MUSIC:BGM LAB.

 野菜を育む大地の薫り、花粉を運ぶ蜜蜂の羽の音、全身で感じる太陽の温もり。これは大日にある農園、「はっするファーム」での日常です。ここでは意識せずとも五感が研ぎ澄まされ、ゆっくりと変化していく風を感じることができます。その畑には、土や野菜1つ1つと真摯に向き合い、農作業に励む嶋川美穂さんの姿があります。
 野菜の生産以外にも、実際に畑で野菜を食べてもらえるようなさまざまな催しを企画することで、その取り組みの面白さや、農園そのものの魅力を伝え、ファンの輪を広げています。
 今回は元気いっぱいの笑顔で多くの人を惹きつける嶋川さんが農業の世界に魅了されるまでの人生とともに、はっするファームの切り拓いてきた道をたどります。

ハッスルできるファーム

 「心が疲れた時に畑や田んぼにいくと、元気と自分でも驚くほどのパワーをもらえたんです」
 そんな体験が嶋川さんの農業を生業とするきっかけの1つでした。だからこそ、畑がもつパワーをほかの人にも感じてもらいたいと思い、「来てもらえる畑、参加してもらえる畑」を作ることが嶋川さんの描くビジョンになりました。「畑に来て、野菜を食べて元気(ハッスル)になってほしい」という思いが「はっするファーム」の名前の由来です。
 はっするファームでは、農薬を使わず、自然由来の肥料を用いて年間80~100種に及ぶ野菜・穀物を生産しています。「まずは自分が食べたいものを育てることを基本にしています。自分が食べたいものならば、頑張って育てられるし、自分がその野菜の良さを分かってないと、全力を注げない」と話す嶋川さん。

 生産した野菜は、トラックに積んでお客さんのもとに届ける直売スタイルを軸に、馴染みのカフェや酒屋に野菜を置かせてもらって販売しています。
 その他にも加工品のための生産に力を入れていて、秋から冬にかけ収穫期を迎える大豆は枝豆として販売を行い、毎年大好評ですが、主に加工品の味噌を作るために育てていると言います。食品以外にも染色用としてベニバナの栽培にチャレンジしたり、布生地に加工するための綿を栽培する計画にも取り組んでいます。

 また、例年なら収入の柱となっていた週末のイベントへの出店については、新型コロナウイルスの感染予防のため、2020年は軒並みイベントが中止。大きな機会損失でしたが、嶋川さんはこの状況を悲観してはいませんでした。
 「出店するイベントがほとんどなくなり、時間ができたことをプラスに捉えて、やりたかったことを考える時間にあてることができました。自分の畑に人を集めて、いろんな体験ができるイベントを増やしたいと思ったんです」
 企画されたものは、野菜の収穫イベントはもちろん、専門家を招いて行われる料理教室、オイル作り体験、野草を食べる会など多岐にわたります。そのイベントで共通して行われるのが、はっするファームにある野菜を収穫し、料理を作って食べること。普段、畑作業をしない子どもたちや大人たちに野菜それぞれの特徴を丁寧にレクチャーしながら収穫し、その場で料理をして、野菜の美味しさをその場で感じてもらっています。
 採れたての野菜は格別で、野菜が苦手な子どもも思わず食べてしまう野菜そのものの美味しさに驚かされます。そして、自分の収穫したものを太陽の下で食べるというシチュエーションが最高の味付けとなり、参加者たちにとって特別な体験となるのです。

旅が気づかせてくれた日本の良さ

 今では農作業がすっかり板についている嶋川さんですが、農業に出会うまでには紆余曲折ありました。嶋川さんは八千代市で生まれ、祖父母、叔母、サラリーマンの父親、裁縫が得意な専業主婦の母親のもと、弟2人をもつ長姉として育ちました。元気いっぱい働く今の嶋川さんからは想像できないぐらい、口数が少ない内向的な性格だったといいます。
 嶋川さんが今でも鮮明に覚えているのが、小さな畑を持っていた親戚の家を訪れた際、まだ赤く熟れていない青いトマトを食べた記憶です。赤いトマトとは違った味わいで、当時の嶋川さんは驚くほど美味しく感じました。
 「その美味しかった青いトマトを私も作りたいと今でも思っているんですが、まだそんなトマトは作れていないんです」
 そんな幼い日の原体験もその後の人生の選択に影響を与えていたのかもしれません。
 中学時代には、大好きなバンド「ザ・ブルーハーツ」と出会い、彼らの自由な表現、自分を貫き通す姿勢に「かっこいい大人になりたい」と憧れ、「ちょっと変わった自分」を好むようになりました。

 高校を卒業したあとは、当時、フォルクス・ワーゲンのビートルに魅せられていたこともあり、自動車整備士の見習いの道へ進んだものの、自分にしかできないことを探したいという思いが芽生え、退職。自分自身を見つめ、模索しながらのアルバイト生活となりました。
 そして、20代となった嶋川さんは世界に視野を広げます。バックパッカーとなり、半年から1年もの間、海外で暮らし、お金が尽きたら日本へ帰国。帰ってきたら再び旅立つための資金作りとして、アルバイトを繰り返す日々でした。
 各国の美味しい料理、変わった料理を味わい、わくわくするような体験を重ねる生活はとても刺激的で、いつしか海外のどこかに腰を据えて生活することも考え始めていました。アジア、欧米各国、小さな島々、さまざまな国を見て周り、生活し、自分にとって最適な移住先を考えました。「でも、治安がよくて、食べ物やお酒が美味しくて、住みやすい場所。考えていけばいくほど、『それって日本じゃん』って思ったんです」
 それからは、日本に戻り、国内での拠点を探していく旅が始まりました。

旅の終わり

 大きな転機となったのが、沖縄県の離島・西表島での出来事です。旅仲間から得た情報をもとに、西表島の農家でアルバイトを始めました。自然が豊かな土地でパイナップルとマンゴーの生産に携わったのが、29才の嶋川さんにとって初めての農業でした。
 西表島の環境にも、仕事にも慣れ、農業という仕事にも充実感を覚えるようになっていき「ここで生活していこう」と気持ちが傾きかけた時でした。これまで病気もほとんどせず、アクティブに過ごしてきた嶋川さんが頭を殴られたような痛みに襲われ、意識も朦朧となり動けなくなってしまいました。
 当時の西表島には小さな診療所しかなく、海を渡って石垣島の大きな病院に行かなければ、助かる道はありませんでした。病名は細菌性髄膜炎。脳や脊髄に細菌がまわり、非常に危険な状態だったといいます。入院後、一時は寝たきり状態となり、点滴で栄養を摂る生活でした。
 両親の心配もあって、沖縄から地元・八千代市に帰って療養生活することになりましたが、そこでも髄膜炎が再発。二度目の入院が決定打となり、西表島に戻って生活していく道は諦めざる得ない状況となりました。
 しかし、旅の一番最後に出会った農業が嶋川さんの生き方を決定づけることになりました。
 「今までいろんな場所でいろんな仕事をしてきたけれど、農作業に関しては、休みたいと思った日がなくて、『向いているか分からないけど、この仕事は好きだな』って思ったんです。入院生活で人間は自然の恵みを食べることで生きられるんだっていうことも痛感して、農業をやってみたい気持ちになっていきました」
 こうして嶋川さんは、20代から続けてきた刺激的な旅に終止符を打ち、農業という新しい冒険の日々に一歩踏み出したのです。

師匠たちとの出会いと有機農業

 それからの嶋川さんは、「食事・宿泊場所」と「労働力」などを交換する機会を提供している「WWOOFジャパン」のしくみを利用して、さまざまな有機農家などホストのもとで畑仕事を体験しながら、農業を学び始めました。そして、33才のときに出向いた農場で、この仕事を生業にしていきたいと決定づけた師匠との出会いがありました。

 成田市にある「おかげさま農場」の代表・高柳功さんです。高柳さんは、1990年代、まだオーガニックや有機農業といった言葉が一般的に浸透しきっていない時代から、化学的な薬を使わない農業に取り組んでいました。新たな挑戦には批判がつきもので「できるはずがない」といった周囲の冷たい目にさらされながらも、「身体にいいものを作りたい」という信念のもと、仲間を説得して組合を作り、無化学農薬、有機肥料栽培をする30代から70代の専業農家が集まった「おかげさま農場」を立ち上げた人でした。嶋川さんは、そういった高柳さんの人柄やパワフルな行動力に惹かれていきました。
 「農業の素晴らしさ、大変さ、すべてを教わりましたし、農業以外にもいつも自分の趣味を楽しんでいて、こんな大人になりたいと思う魅力的な人。この出会いがあったからこそ、自分でも畑をやっていきたいと思いました」
 こうして、WWOOFジャパンのシステムを使ったアルバイトを継続しながら、おかげさま農場で仕事をする生活を2年ほど続けたのち、繋がりのあった「あいよ農場(現・みろく農場)」で、本格的な研修を行うことになりました。代表の室住圭一さんは、苦労の末に東金市で新規就農を実現させた人で、有機肥料で野菜と米を生産しています。第二の師匠となった室住さんのもとで、経験に基づいた知識やノウハウを吸収し、より農業の楽しさをかみしめるようになった嶋川さんは「どうしても早く自分の畑をやりたくなっちゃって」と、はやる気持ちを抑えられず、1年あまりで独立。
 室住さんの紹介で畑を借り、あいよ農場の仲間とトラクターなどの機材をシェアしながら、2011年新規就農にこぎつけました。
 とはいえ、すぐに収入が得られるわけではなく、他の農家でのアルバイトのあとに、自分の畑で作業をする日々。毎日が忙しく、体力的にはかなりハードでしたが、「全然苦ではなかったんです。楽しかったので、夢中になってやっていた感じ」と振り返ります。
 農業に携わってから、これまで勉強させてもらった研修先は、無農薬や有機栽培を掲げる農家や農場ばかりで、初めは有機農業に特別な思い入れがなかった嶋川さんも自然とその方向に進むようになりました。「農薬がなくても、こんなにきれいで、美味しい野菜ができるっていう驚きを今でも覚えています。最初からそういう環境だったので、私自身は農薬のかけ方も分からないし、逆に有機でしか育てられないんです」と笑う嶋川さん。「自分だったら、自然な形で育ったものを食べたいと思うし、そういう野菜を私自身が育てて、みなさんに食べてもらいたいと思うんです」と今では確かな信条を持って、野菜作りに取り組んでいます。
 そして、新規就農から3年、師匠、先輩方から学んだことを活かしながら、経験を積み、その間に趣味の音楽を通じて知り合った智也さんと結婚。当時、福祉関係の仕事をしていた智也さんの職場との距離の関係で東金市からの移転を決めました。
 知り合いや伝手もなく、貸してもらえる農地を探すのに苦労もありましたが、2014年、縁あって新居からほど近い四街道市大日で自分の畑を持つこととなりました。

刺激的な日々を求めて

 2021年現在、四街道にきて7年、独立して10年目を迎えるはっするファーム。
 自然と付き合っていく仕事とあって、毎年、さまざまな壁にぶち当たります。しかし、それを苦労だとは思ったことはありません。
 「台風や長雨で水浸しになったり、虫だらけになったりして、野菜がだめになることもあります。その日だけは落ち込みますけど(笑) でも、そういう失敗も含めて農業。自然のおかげで野菜を育てられているんですよね。毎年、失敗はあるけれど、そのたびに『来年はこうしよう、これをやってみよう』と、工夫をすることができるんです」

 おかげさま農場の高柳さんに言われた「多くの野菜は1年に1回しか収穫ができない。自分が死ぬまでにあと何回作れるかわからないぞ!だからこそ、1年1年が貴重で、やることをやらないと」という言葉が今でも印象的に刻まれています。
 毎年違う気候、自然を受け入れ、工夫をしながら「前向きに楽しむ」のが嶋川さんのモットーとなり、創意工夫を繰り返す日々が楽しくて仕方ありません。
 刺激を海外に求めて、世界を転々と巡ってきた20代。「自分が地に足をつけて1つの場所にとどまることができるのだろうかと不安もあったけど、やってみたら毎日が本当に刺激的で農業は飽きません」と嶋川さん。毎日の仕事をルーティーンにするだけでなく、常に新しいことにチャレンジすることで刺激的に日々を彩っているのです。
 2020年は新しいチャレンジとして、マコモという野菜を育てることを始めました。マコモはイネ科の多年草でお米のように田んぼで栽培されます。根元に出来る肥大した茎の部分をマコモダケと呼び、柔らかいタケノコのような食感、クセのないとうもろこしのような甘みが特徴で中国や東南アジアなどで広く知られています。日本でも「古事記」や「万葉集」といった文献にその名前が残っているものの、現代の日本ではあまり知られていない野菜です。
 「味の美味しさももちろんなんですが、マコモには水を浄化する作用があると聞いて衝撃を受けました。自然と近い仕事をしている立場として、環境のことを考えることが多くて、田んぼでマコモを育てて、そこから流れた水がきれいになれば、環境が少しでも良くなるんじゃないかと。こういう動きが広まっていけば、もっと地球が元気になるんじゃないかと思って、田んぼを新しく借りて、マコモとお米を育て始めました」

 昔から農業に従事する人は「百姓」と呼ばれてきました。しかし、百姓は1つの仕事にとらわれず、臨機応変に必要とされる仕事をしてきたとも言われています。「私は百姓のことを百のことができる人と捉えていて、とてもかっこいい言葉だと思っています」と嶋川さん。畑で作った綿で布団を作ったり、綿を紡いで生地を織って着物を作りたいといった夢、畑のもので作品を作りたいといった想いも秘めており、「まだまだ百に達していないけれど、いろんな挑戦ができる場にしたいし、いろんなことができるようになりたいんです」
と野菜を作ることだけにとどまらず、好奇心のまま、やりたいことを学ぼうという姿勢に溢れています。

発するファーム

 野菜を作るだけでなく、畑に来てもらって元気になる農園を目指すはっするファーム。2020年は、例年以上に多くのイベントを開催しました。秋には、草木染の専門家や造形教室の先生、Tシャツリサイクルの会社を経営する友人たちとともに染物体験イベントが行われました。使ったのは畑にある玉ねぎの皮や落花生の茎や葉で、普通ならゴミとして破棄されるものばかり。そういったものを工夫して、少し手間をかけることで生活に彩りを添えられるということを参加者たちに体験を通して発信していきました。

 子どもたちにはペイントイベントが人気で、2019年には畑の倉庫にしているコンテナに、春夏秋冬に分けて、季節ごとの野菜の絵を1年を通して描いていきました。2020年は、野菜を運ぶはっするファームの軽トラックに、子どもたちを中心とした参加者が、野菜の絵を描くイベントを開催しました。
 日本には四季があり、その季節ごとに栽培できる野菜が違い、畑で感じる風が違います。そういった畑で四季を感じることは、普段畑に馴染みのない子どもたちにとって、とても貴重な経験になります。その季節の野菜を触って観察し、絵を描いて、理解する。そして、その野菜を食べて味わうという、五感で季節を感じられるフルコースです。

 「今はスーパーにいけば、1年中トマトが売っていて、季節の野菜がわからない人も多いです。でも、本来夏の野菜、冬の野菜ってあって、遊びの中で四季がもたらす自然の恵みを感じてもらえたらうれしい」
 本来、その季節に採れるものを食べることは自然の流れで、いろいろな野菜が手に入る便利になった生活はある意味、不自然とも言えます。夏の野菜は熱くなった身体を冷やす効果があるなど、その季節の野菜を食べることはとても理にかなっているのです。「地元でできた季節のものを美味しく食べることで元気でいられる」それが嶋川さんの伝えていきたいメッセージのひとつです。
 こうした思いに賛同する人、やりたいことを面白がってくれる人との繋がりを大切に嶋川さんは縁をつなげてきました。自分の思いを周囲に伝えて、自身のアンテナも常に巡らせておくことで、さまざまな分野のスペシャリストとも知り合うことができ、魅力的な企画を開催したり、わくわくするような計画を立てることに繋がりました。
 「やりたいなぁと思ったことをどんどんやってみたいんです。でも、1人じゃできないから『面白いことやりたいんだけど』ってみんなに話して、友達が友達を呼んでって連鎖してきた感じです。今(2020年)は、本当に大変な時期だけど、だからこそ、同じ方向を向いた、同じ思いを持った人たちの結びつきがより強固になったとも感じます」

 直売スタイルでいることも、生産者と消費者という関係性だけではなく、その人を知り、買ってもらう人にも自身のことや野菜のことを知ってもらい、もっと身近な存在でいたいという思いが根幹にあるからです。
 当初は「野菜を食べて元気になってもらいたい、畑に来てハッスルしてもらいたい」という思いでつけた「はっするファーム」という名前でしたが、今では「発信する・思いを発する」という意味合いも生まれてきました。思いを共有できる人との繋がりを身近に感じながら、その輪を広げていくことこそが嶋川さんの思う豊かな人生です。
 新しく始めた田んぼで悠々と茂るマコモのように自分の軸をしっかりと持ち、そして躍るように揺らめく美しい稲穂のようにどんなことも楽しみながらチャレンジを続ける嶋川さんだからこそ、多くの人の心を惹きつけているのかもしれません。これからも地域の消費者やイベント参加者に元気を与え、メッセージを発信していくはっするファーム。出会った人たちとの絆を育みながら歩み続けます。

取材・記事:村井暁子