まちのストーリー

story_02_main

この場所でしかできないこと自家製麺と地場野菜 うどん屋 麦

 素朴でダイナミックな看板、温かみのある店内、ハツラツと働く女性たち、そして多くの市民に愛されているコシのあるうどんとサクサクの野菜天ぷら――
 思わず人に教えたくなる、市外の人に自慢したくなる、そんなお店があります。
 ここは四街道市の北西部にあたる大作ヶ岡という地区で、あたりは穏やかな畑の風景が広がる開放感あふれる場所です。
 決して交通の便がいいとは言えないこの土地でも毎日多くのお客さんで賑わい、平日でも満席、行列になることは珍しくありません。多くの人の心をつかんで離さないそんな魅力がこのお店にはあるのです。
 「自家製麺と地場野菜 うどん屋 麦(ばく)」を営んでいるのは藤森家のみなさん。厨房を担当する藤森勢津美さん、接客を担当する娘の由稀さん、そして店舗のすぐそばのふじ農園で野菜を生産する息子の拓郎さんです。今回は、うどん屋 麦を中心に藤森家が紡いできたストーリーをご紹介していきます。

開墾、そしてふじ農園の誕生

 四街道には戦中、戦後にかけて復員開拓者によって開墾された開拓の歴史があり、鹿放ヶ丘の地区に多くの少年兵たちが入植して開墾したという話が有名です。由稀さん、拓郎さんの祖父にあたる藤森積さんは、彼らより年代は上にあたりますが、満州義勇軍の引き揚げ後、昭和20年に鹿放ヶ丘の開拓で四街道に移り住むことになりました。作物がうまく実らず、翌年に大作ヶ岡に移り、現在の場所でふじ農園を作り上げました。当初は果物の生産をしていましたが、思うように育たず、野菜の生産に切り替え、現在に至ります。
 その農園を受け継いだのが、勢津美さんの夫で由稀さん、拓郎さんの父にあたる建次さんです。積さんは堆肥作りにこだわりを持ち、化学肥料には極力頼らない自然な形での農法に取り組んでいたこともあり、建次さんも低農薬栽培での野菜づくりに情熱を注ぎました。

全力で向き合った夫婦の歩み

 麦の大黒柱でうどん作りや小鉢を担当する勢津美さんは、広島県の出身で淑徳大学を卒業後、四街道市で教員として従事しながら、25歳の時に建次さんと結婚。一男二女に恵まれ、いつもあらゆることに全力で向き合ってきました。そんな姿を見てきた長女の由稀さんは「朝から寝るまで、ずっと動きっぱなしで、逆に止まっていると疲れちゃう人です」と笑います。朝から家族の食事を作り、家事をこなし、学校で働き、帰ってきても畑の手伝いに精を出していました。
 それでも、それを苦と思うのではなく、イキイキとこなしていく、そんな風に由稀さんには映っていました。「父は農業しか知らないような真っすぐな人。内に秘めたものを静かに熱く燃やすタイプでエネルギーで言うと静。母は動という感じです」と由稀さんは両親を語ります。
 勢津美さんとともに子どもたちを立派に育て上げ、農園の方も順調に運営していた建次さんでしたが、2010年5月に突発性の病のため他界。あまりに突然の別れに家族は悲しみに包まれる中、建次さんが遺した農園は長男の拓郎さんに引き継がれることになりました。

動き出した新たな人生

 3人きょうだいの真ん中で由稀さんの弟にあたる拓郎さんは、高校を卒業後、千葉県立農業大学短期大学に進学。農業に関する専門的な知識を学びましたが、もともと関心のあったグラフィックデザインを専門学校で学び直し、東京でWeb制作の仕事に就いていました。制作の仕事と農業とで揺れる中、父親の他界を機に仕事を辞めて四街道に戻ることを決意し、ふじ農園を引き継ぐことになりました。
 「弟はこだわりが強く、一つのことにのめり込むようなところがありますね。きょうだいの中でも一番真面目な性格です」と由稀さんは語ります。興味のあるものにとことん夢中になる性分で、低農薬栽培に尽力してきた父の遺志を引き継いだ農園では、農薬の危険性や害などをとことん調べ、有識者のもとに学びにいくなど努力を惜しみませんでした。知識を深めた上で完全無農薬を貫き、安心、安全な野菜作りに力を注いでいます。

 建次さんとの別れは勢津美さんの人生も大きく変えていくことになります。
 同時期に自分自身の定年退職を目前に控えていた勢津美さんは、今後の人生を見つめなおしていました。夫が心血を注いで生産してきた野菜、そして農園は息子の拓郎さんが引き継がれましたが、無農薬野菜の生産過程には、どうしても不格好で売り物にならないものなど、ロスが出ます。
 「それをどうにか活かして、新しいことを始められないか」
 そう考えた勢津美さんは、野菜を活かしたお店を開くことを決心したのでした。

接客のプロ由稀さんの転機

 長女の由稀さんは高校卒業後に四街道を離れ、都内の美容関係の専門学校に進学し、その後は長らく化粧品の販売員を務めてきました。ここで接客業のノウハウを吸収し、お客様への気遣い、要望を汲み取る力など養っていきます。その後もフリーのメイクアップアーティストとして活動しながら、ワインバーで働くなど、着実に接客の腕を磨いていきました。
 当時、勢津美さんから「1人でお店を始めたい」という話を聞かされた時は、陰ながらのサポートを申し出る程度でした。
 「畑の手伝いだけをして終わる人ではないし、エネルギーがあり余っている人なんで『きっと大丈夫!やってみなよ』という気持ちでした」
 しかしその後、由稀さんもまた、人生を大きく変える転機を迎えます。妊娠していることがわかり「子どもを育てるのなら、自然豊かで環境のいい四街道がいい」と考えていた由稀さんは、四街道に戻り、店の手伝いをしながら、子育てをすることを決意したのでした。
 ハキハキとした口調、明るい笑顔、そして細かい気遣い――
長年にわたる接客の経験は、人と人との関わりを大事にした温かみのあるおもてなしとして、うどん屋 麦でも存分に発揮され、接客や経理、関係者とのやりとりなどを一手に引き受けるお店になくてはならない存在となっているのです。

うどん屋 麦ができるまで

 2011年、飲食店を出すことを決心した勢津美さんでしたが、当初はお好み焼き屋を考えていました。故郷・広島にあった年配の女性が一人で切り盛りする地域に密着したお好み焼き屋さんのイメージが強くあったからです。ところが、
 「臭いが服につくからイヤ!」
 若い女性らしい由稀さんの反対もあり、その後、様々な野菜を活かせるという点から天ぷらという方向に固まり、うどん屋が最終案になったといいます。
 「もともと、そば派だったし、『え~うどん?!そんなに美味しいもんかな?』という感じでしたけど、始めていくうちに、うどんの美味しさが分かってきた感じですね」と由稀さん。お好み焼き屋からうどん屋へと変わりはしましたが、「地域に密着した温かいお店」という勢津美さんの思いは、うどん屋 麦にもしっかりと生かされているのです。

 大作ヶ岡は調整区域ということもあって、建築物の許可が下りるのに1年近くかかりましたが、その間に勢津美さんは、うどん作りの研究に没頭。うどん作りの研修などに参加もしましたが、それからは、最適な小麦の配合、打ち方、出汁づくりなど、ほとんど独学で身につけていきました。
 その後、お店の建築も始まり、由稀さん、勢津美さんはじめ、携わった大工さんのアイディアも盛り込んだ建物が出来上がりました。木の温もりを大事にした内装、伐採した木々を活かした丸太の椅子、暖かなデッキではペットとともに楽しむこともOK。藤森家の温もりを再現したかのようなアットホームな空間です。
 そして構想から2年の月日を経て2013年11月、ついに「自家製麺と地場野菜 うどん屋 麦」がオープンしました。

美味しいうどんと野菜が評判

 勢津美さんの作るうどんの美味しさは瞬く間に評判になりました。その美味しさの秘訣は独学で習得したとは思えない麺のコシ、材料にこだわり抜いた出汁だけではなく、この土地の水に大きな関係がありました。
 深い層まで掘られた農業用の井戸水を使用しているのです。水質検査でも、かなり水質の良い水とお墨付きをもらうこの井戸水。
 「水が少しでも変われば、麺の味も変わっちゃいます。麦のうどんは、この場所でしか出せない味なんです」と由稀さんは言います。
 この場所でしかできないこと、それがうどん屋 麦なのです。こんなところにも藤森家とふじ農園の歴史が刻まれており、美味しいうどんという形となって多くの人の舌を楽しませています。
 また、拓郎さんが作った無農薬野菜の美味しさも負けていません。収穫して間もない新鮮な野菜を使った天ぷらは、うどんを注文するお客さんのほとんどが同時に注文します。
 店内では、野菜の直売もしており、リーズナブルな値段で無農薬野菜を購入することができます。また、普通のスーパーではなかなか出回らない変わった品種の野菜もあり、おすすめの食べ方を由稀さんが丁寧に説明してくれるので、来店のたびに新たな楽しみがあるのも魅力のひとつです。
 ふじ農園で採れた野菜の他にも地域の農家から仕入れた野菜やお米も使用しており、勢津美さんの作る日替わりの小鉢やおにぎりとなっています。勢津美さん、由稀さん以外のスタッフも地域の気心しれた仲間が多く、コミュニケーションを大事にしながら仕事に励んでいます。地域の人との交流、つながりを大事しながら、みんなに愛されるお店作りがなされています。

失敗とともに成長

 飲食業未経験のスタートだったため、多くの失敗もありました。注文を取ったものの、オーダーの紙が剥がれ、お客様を1時間以上待たせてしまったり、温度、湿度管理のミスからうどんや天ぷらの味がいつもと違うと指摘を受けたりしたこともありました。
 一度全国ネットのテレビ番組に取り上げられた際は、遠方からも多くの人が殺到し、開店後わずか1時間で受付を終了したり、お客様を3時間もまたせてしまったりと、大変な状況にもなりました。
 「そういった数々の失敗や指摘があったからこその気づきがありますし、二度と同じ失敗はしないようにすることができました。味に関しては、徹底した管理が大事ですし、時間がかかっても美味しいものにしようと意識しています」

 拓郎さんも農園を継いで6年が経過しましたが、様々な苦労がありました。ここ数年の異常気象で精魂込めて育てた野菜が収穫できなかったり、安全なものを作りたいという思いから、自然な良い種を使うとなると発芽する力が弱かったりもします。手をかけても芽が出なかったり、発芽しても実がなりそうな時期に大雨が降って駄目になってしまったりも。
 除草剤も使わない方針のため、草取りに追われるなど、現在はウェブ制作業との兼業、さらには一人きりの作業ということもあり、多忙を極めます。
 低農薬栽培へ切り替えてもいいのでは、という周囲の声もありましたが、拓郎さんは無農薬栽培への強い思いを語り、誇りをもって野菜と向き合う生活を送っています。

お客様とともに

 失敗や躓きのたびに、お客様の指摘や助言が麦を成長させてきました。
 「本当に感謝の一言です。アイディアをいっぱい落としてくださるお客様もいて、季節限定メニューが生まれたりもしました。そういう方たちがいなかったら、全然違った店になっていたかもしれませんし、失敗の経験や、ベースを大事して、長く続けられるように、頑張りたいですね」と由稀さんは言います。
 日々、一人ひとりのお客様との関わりが由稀さんたちの励みとなっています。
 お客さんの空になったどんぶりを見る時、「美味しかった」の一言をいただけた時、お子さんのお客様からお礼の手紙をもらった時――
 「カップルで来店されたお客様が2回目の来店には夫婦になっていて、3回目の来店時にはお子さんを連れていたり、次にはそのお子さんがお箸を使えるようになっていたり。そういうお客様のご家族の成長に寄り添えるのもとてもうれしいです」
 オープンから3年の間に根強いファン、常連さんも増え、多くのリピーターの声を反映させながら、麦は、ゆっくりとした歩みで進化を続けていきます。

家族だから

 厨房の勢津美さん、接客の由稀さん、野菜を生産する拓郎さん、家族それぞれの役割があり、店を支えあうスタッフ同士です。家族で経営する上で衝突もあるといいます。
 「近い関係だからこそ、言いたいことが言える。でもいい意味でも悪い意味でも甘えになることもあるんですよね。やっぱり後に引かないし、ぶつかることもあります」
 でも、いくら険悪になったとしても、一日中一緒にいて、仕事が終わっても一緒となれば、顔を合わせる以上、良い空気を保っていたいという思いは同じ。日々の生活があるからこそ、家族だからこそ、引きずることなく普段通りに戻ることができるという良さもあります。
 由稀さんは「毎日忙しいですけれど、家族がいるからこそ頑張れるんだと思います」と笑顔を見せます。
 お店のホームページは農園と兼業でウェブ制作をしている拓郎さんが作り、裁縫関係の職人として働いている一番下の妹のみのりさんは、お店の暖簾や椅子につけるクッションなどを作り、日曜日など由稀さんの子どもの保育園がお休みの時は、ベビーシッターとして実家に駆けつけ、陰ながらサポートしています。家族それぞれが、自分の得意分野を活かした形でお店を支えているのです。
 「何が欠けても麦は成り立たないんですよね。例えば、母と私、どっちかが倒れてしまったら、どちらも代わりにはなれませんから、店を休むしかなくなっちゃうんですね。それは弟の場合も一緒で、代わりがいないんです。そういう意味では危なっかしい形で営業しているんですけど(笑)」

 勢津美さん、由稀さん、拓郎さん、それぞれの柱が麦という店を家族ならではの強固な繋がりでがっちりと支えています。誰が欠けてもならない、それぞれが大黒柱なのです。
 オープン前は「こんな場所にお店なんて出しても誰も来ないよ」といろんな人に言われていました。
 「でも今では地域の人たちが見かけると手を振ってくれたり、頑張れって言葉をかけてくれます。お客様もたくさん来てもらえるようになって、本当に感謝しかありません」
 地域の人、多くのファンの温かい言葉が藤森家の支えとなっています。そして、そんな感謝の気持ちと家族の温もりが育んだ美味しいうどんと野菜がこれからも親しまれ続けていくのです。

取材・記事:村井暁子

ダイジェスト映像を見る

MUSIC:BGM LAB.