まちのストーリー

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四街道の自然と子どもたちを繋ぐNPO法人四街道プレーパークどんぐりの森/代表理事 古川美之さん

自然を感じる目、感じる心

 四街道はベッドタウンという側面を持ちながら、住宅地から一歩外に出るだけで、田んぼや里山があり、見られる植物や生き物も数多く、都会とは一味違った自然豊かな土地です。
 四街道中学校の裏手にある小高い丘をあがると、野山の中を駆け回る、泥んこになって遊ぶ、落ち葉にまみれてはしゃぐ、思いっきり声を張り上げる、そういった、野性味むき出しの子どもたちに出会えます。そこが「四街道プレーパークどんぐりの森」です。

 「四街道は遠くに行かなくても、自然が身近にあるんですよ。ただ、それを気づくことができるか、できないか。そこに草花があって虫がいて、それを感じる目、感じる心があるかが大切なんです。それはきっと、日ごろからそういう機会に触れているかどうかだと思うんですね。だから身近に自然を感じられる四街道は魅力的だと思います」と、この四街道のプレーパークを創り、現在も精力的に活動を続ける代表理事・古川美之さんは言います。

 長く住んでいても、四街道の自然の豊かさ、素晴らしさを体感している人は案外少ないのかもしれません。
 自然を感じる目、感じる心、みなさんは気づいていますか――

両親から学んだ人との繋がりの大切さ

 「学校から帰ると毎日時間がいっぱいあって、その時間で今日は何して遊ぼうかなって、空を見上げながら考えていたような子どもでした」 
 静岡県焼津市。山も海もほど近い自然に恵まれた土地で生まれた古川さんは、両親、祖父母、曾祖母、叔父、妹と大家族で育ちました。両親は共働きで一緒に遊ぶ時間は限られたものの、祖父母以外にも近所のお兄ちゃん、お姉ちゃんなど地域ぐるみの付き合いも深く、川遊びや海水浴、ミカン狩りなどを通じて、多くの人に見守られながら、のびのびとした環境で子ども時代を過ごしました。
 近所の人と過ごす時間が多かったこともあり「両親は〝人との関わりの大事さ〟を言葉ではなく、生活の中で伝えてくれていたような気がします」と古川さんは当時を振り返ります。ここで感じ取ってきた人の温かみ、出会いの大切さを感じる心が現在の活動の根源になっているのです。
 中学、高校は山岳部で自然に親しみ、もともと興味のあった生化学の分野を専攻するために千葉大学に進学。ここで千葉との縁ができました。
 「大学ではこれまでになかった多様な人たちとの出会いがあり、価値観の違いや考えを知ることで、一気に世界が広がる大きなきっかけになりました」と古川さんは言います。所属したワンダーフォーゲル部では山の楽しさとともに自然の容赦ない厳しさも体験しました。春山での長期合宿など、人と人とが助け合わなければ、生きていけない過酷な状況を経験。「多少の暑さ寒さは、平気だし、苦しい状況でも乗り越えられるっていう気持ちは、あのころの合宿のおかげかな」と古川さんは笑います。

 大学卒業後は、生化学の専攻を活かし、静岡に戻って化粧品の開発部門に就職。その後、結婚を決めたことで退職し、千葉に戻ってくることになります。
 千葉市に住みながら東京で研究職に就き4年、妊娠を機に仕事を辞め、夫の出身地であった四街道に移り住むことになりました。

子育てが大きな転機に

 古川さんの大きな転機となったのが、子育てです。二男一女を授かり、日々の子育てに追われる中で、ふと思うことがありました。
 「小さい子どもって本当に動物みたいなのに、自然に触れ合う機会があまりに少なすぎる。人間だって自然の一部なのに、このままでは人間が特別な存在だと思いあがってしまうんじゃないかって」
 古川さんは危機感を抱いていました。子どもたちの置かれた環境が自然とかけ離れていたのです。約20年前の当時、環境汚染が問題になっていたこともあり、
 「子どもたちにとって健全な自然環境に改善できないだろうか」
 こういった思いをきっかけに古川さんは環境保全や自然観察などの市民活動に力を入れていくようになりました。
 そういった活動をしながらも、古川さんにはもう1つの思いがありました。
 当時、四街道には児童センターなど屋内で子どもと遊ぶ場は充実していたものの、野外で思いっきり自然と戯れる場がありませんでした。「昔は土の上で自然とともに過ごすことができていました。1日は24時間と変わらないのに、今は遊びの選択肢が多いためか、どうしても人工的な遊びに惹かれて、自然を体感する機会が少ない」と感じていたのです。遠くの自然教室に車で行くという行動も自然保全とはかけ離れている気がしてなりませんでした。
 そんな時に子どもが自然と戯れることができる場である「世田谷プレーパーク」の映像を見る機会がありました。実際に関係者にお話を聞いてみたところ、
 「これだ!」「子どもと自然を繋ぐのは、遊びだ!」
 古川さんは強い衝撃をうけました。身近にこういう野外の遊び場があれば……。という思いを募らせていくうちに、ないのならば、自分たちで作り出せないだろうか、という思いに至ったのです。
 2001年、学習会を経て集まった8人ほどのスタッフとともに、和良比が丘公園などを拠点とした四街道プレーパークがスタートしました。

どんぐりの森ができるまで

 プレーパークとはもともとデンマークが発祥でヨーロッパで広まっていた「廃材遊び場」のことで、現在では子どもたちが自由に制限なく自然で遊ぶことができる「冒険遊び場」という位置づけです。日本で初めてプレーパークを名乗ったのは東京都世田谷区の羽根木公園だそうで、現在は400か所以上のプレーパークが全国にあります。
 古川さんはじめスタッフの熱い思いから月1回の活動が始まったものの、普通の公園は住宅地に近く、多くの人が利用できる環境である一方で火を使えなかったり、穴を掘ってはいけなかったり、制約も多く、物足りなさもありました。
 かといって、野趣にあふれた魅力的な土地は交通の便が悪く、人が集まりにくいという欠点がありました。誰でも参加できる開かれたプレーパークを目指していた古川さんたちにとって、多くの人が利用しやすい土地でなくては意味がありませんでした。
 月1回のイベント的なプレーパークでは、子どもたちが作りあげたものをその日のうちに片づけなくてはならず、「より四街道の自然を活用した常設のプレーパークを」という思いが強くなっていきました。土地探しをする間、試した場所は5か所以上にのぼります。
 そんな中、2003年に「四街道市ともに築く地域社会提案実施事業」という千葉県の協働事業に応募し、2年連続で採択されたことがターニングポイントとなりました。プレーワーカー養成講座や里山学習会を行えたばかりでなく、県の委託事業を受けたことがさらなる後押しとなり、以前から立地面、環境面で最高だと思っていた土地の地権者・大川富士男さんのもとを訪ねる決心がつきました。
 「急にこんな話をして、信用されるだろうか」といった不安な気持ちを抱えながらも、古川さんが取り組んできたこれまでの活動を紹介し、子どもたちにとって自然体験がいかに大切かを丁寧に伝えました。そのまっすぐな思いが届き、大川さんの賛同を得ることができたのです。ちょうど千葉県が推し進めていた「千葉県里山活動協定」を大川さんと結ぶことができ、2004年、現在の場所で念願の常設のプレーパークを開設できることになりました。
 こうして「どんぐりの森」が生まれたのです。

失敗もすべて栄養に

 2005年、どんぐりの森が始まって1年が過ぎたころ、プレーパークを推進する県の流れもあり、月に数回だったプレーパークの開催を有償のプレーワーカーを置くことで活動日をさらに増やすことになりました。
 プレーワーカーとは、子どもたちがイキイキと遊ぶことのできる環境を作る大人のスタッフのことで、ここでは職業プレーワーカーの他、子育て経験者、現役子育て中の母親、元保育士、大学生といったさまざまなバックグラウンドを持ったプレーワーカーが子どもたちを見守っています。

 県との事業終了後は四街道市との協働事業となり、四街道市がプレーパーク事業を委託する形で有償プレーワーカーを雇用。そのほかボランティアスタッフがこの活動を支えています。
 運営費は、市からの委託費としてその一部がまかなわれ、そのほかは賛助会員の会費や自主事業を企画し、その参加費をあてたり、バザーやフェスタで自主財源を稼いでいます。そのほか「森×子育て@ハッピーな日常を作る40の種子―四街道プレーパークどんぐりの森編」という本を出版し、その売り上げも運営費にあてています。
 どんぐりの森を始めた当初は、まっさらな状態で全員が手探り状態。
 「やっぱり私たちだけではできないので、地主さんと相談しながら、趣味を楽しんでいる団体の方や地域の方、市民団体のみなさんたちに協力をお願いしながら、コツコツやってきた感じですね」
 古川さんはこう振り返ります。現在では遊具も充実しているどんぐりの森ですが、初めは倒木だらけの雑木林。そこをきれいにして、切り開いていく作業を進めました。木に取り付けたブランコやハンモック、木のテーブル、平均台のような一本橋、これが最初に作った遊具です。

 どんぐりの森を続けてきた中で失敗も数々ありました。活動日以外の日ではあったものの、消防車が4台出動するボヤ騒ぎがあったり、子どもたちのケガがあったり……。
 それでもこのどんぐりの森が継続してこられたのは、地域の人の深い理解と保護者たちがこの活動の根っこの部分を理解し、大切にしてきたからです。
 「色んな失敗をたくさんしましたけど、その失敗を含めていろんな経験がこの場を作っていく栄養になっているんだと思います」
 どんぐりの森には「ケガもお弁当も自分持ち」という象徴的なキャッチフレーズがあります。まず1つ目に小さなケガを繰り返すことで、大きなケガを防ぐことにもなるという考え方があります。実際、ケガをしてしまった時のフォロー体制も充実しています。スタッフは年に1度必ずケガに関する研修を受けており、切り傷、捻挫、打撲など多くの処置を学んでいます。ヘビにかまれるといったレアなケースに対する対処も心得ています。ケガそのものだけでなく、子どもの心のケアや保護者や周囲の大人へのケアも充分考え、誰もが思いっきり遊べる場づくりに努めているのです。

そして、もう1つ重要な考え方があります。
 「自由に遊べる場なんですけど、自分の責任で遊ぶからこそ自由があるんですよね。遊びは自分で決めて自分で終わらせる。自分で決めたことだから、ケガもひっくるめて自分で引き受けるってことです」
 子どもたちに自由を与えることは責任を課し、自立を促すことでもあるのです。

 異なった年齢層の子どもたちが遊ぶ喜びを共感したり、それぞれを認め合ったり、野外での遊びによって普通の生活の中では得難い経験を日常的に積むこともできます。どんぐりの森は、こういった子どもたちの成長をつぶさに見守ることもできる絶好の環境といえるでしょう。

中学校区ごとのプレーパーク

 四街道には5つの中学校があり、その「中学校区ごとにプレーパークがあれば、子どもたちは自分たちの足で遊びに行くことができる」、こういう考えのもと、現在では和良比地区(どんぐりの森)で月10回程度、栗山地区(栗山ことりの森公園内)で5回開催し、そのほかに出張プレーパークとして鷹の台公園、中央公園、千代田近隣公園(そのほか物井さとくらし公園、千代田の調整池で試行中)この5カ所で開催しています。(2016年度現在)
 こういった出張プレーパークの充実を図るために車両導入の経緯もあり、2016年3月にはNPO法人として法人格を取得しました。
 「社会にとって、子どもにとってこういった野外の遊び場の大切さなどを伝える、そんな役割も法人として果たしていきたい」
 責任を持ってこのプレーパークの運営をするという強い決意の表れでもありました。

出会いから生まれるプロジェクト

 「子どもたちが思うままに遊んでいる表情、お父さん、お母さんたちのほっとした表情を見たとき、すごくやりがいを感じますし、継続してやってきてよかったと思います」と古川さんは言います。
 子育てに悩みながら、日々に追われ、多くの情報に翻弄されがちな大人にとってもプレーパークは、ありのままの姿でいられる憩いの場になっています。
 また、このプレーパークで出会った人たち同士の新たな動きも大きなやりがいにつながっています。
 一緒に自然を感じながら四街道を散歩するマップを作りたいといった声があがり、「私、イラストが描けるよ」「調べるのが好きだからやるよ」などいろんな才能を持った人が手を挙げて「おひさんぽマップ」が完成しました。

 そして「野外で遊び育つことって子どもにいいよね。こういう活動を毎日のことにしたいね」といった声から、保育者と保護者が自主保育の形で自然の中の遊びを中心に保育をする「森のようちえん」が誕生しました。

 ここにくる人たちの魅力の発見、そして、発想を現実にするマッチング、プレーパークという場にはそういう特別な力がありそうです。

仕組みづくりと新たな構想

 古川さんには目標があります。それは、今ある出張プレーパークを地域に定着させることです。そのためには野外で遊ぶ意義、重要性を市民に伝えていくことと同時に、仕組み作りが必要になってくると言います。
 児童センターなど室内の遊び場では、整備された運営がなされていますが、プレーパークには、そういったものがまだ不十分なのが現状です。「『舎を持たない児童センター』のような位置づけで多くの人に認識してもらい、子どものありのままを受けとめる場所、野外も子どもの育ちに必要だということを多くの人に理解してもらいたいですよね。行政と市民がともに作り上げる体制を整えることや市民団体同士のネットワークづくりも重要です。もっと野外で子どもたちが育つ場を増やす仕組みを作りたい」と古川さんは意気込みます。
 また「社会が時間に追われている状態なので、暮らしを見つめなおすというか、人と人の関係を大事にして、暮らしを豊かにできる場を作りたいですね。今は情報が多くて本質が見えにくい。子どもが笑顔でいることに幸せを感じたり、その子どもたちも親の楽しそうな顔を見てほっとしたり。そういうシンプルなことを共有できる野外のコミュニティが作れたら……」と大人がつながり、学びあう場づくりの新たな構想も浮かんでいるようです。

 プレーパークの活動を通じて感じることもあります。
 「子どもが生まれるまで、自分が子どもに関する仕事をするなんて思ってもみなかった。でも、プレーパークをやっていて、子育てにもすごく役立っていました。親が押し付けるのではなくて、本人はどうしたいのか、子どもの気持ちと寄り添いながらっていうスタンスです。この活動が家庭にもいい影響になっていたと思います」
 プレーパークを利用する人たちのためだった活動が自然と古川さんの家庭、生活をも豊かにしてきたのかもしれません。

15年の歩みと未来へ

 年に1度、3月に開催される「森まつり」は500人を超える来場者がどんぐりの森を訪れるビッグイベントです。子どもたちが自分たちで考えた、くじ引き屋、弓矢屋、積み木ゲーム屋、小物屋、イラスト屋などのお店を出し、商店街を形成。そこではお金がなくても遊べるようにと、地域通貨(疑似通貨)を導入し、誰もが楽しめる工夫がされています。大人たちもハンドメイドの品物や手作りクッキー、スープ、コーヒーを売ったり、技術のある人はヘッドスパ、ハンドマッサージなどを行ったりしています。

 この、森まつりでは、以前ここで遊んだ子どもたちが大学生や大人になって手伝いに来てくれたり、もう子育てがひと段落した母親たちもスタッフとして来てくれたりしているといいます。どんぐりの森で遊ばなくなっても、ここで遊んだつながりは途切れることはなく、年に1度、同窓会のように近況を報告しあい、温かな時間を共有しています。
 「そういった時間もこのプレーパークを続けてきたからこそだなぁと思います」
 小さな積み木を一つ一つ積み重ねるようにして作り上げたどんぐりの森。時には積み木がこぼれたりしたこともありました。でもそうやって積み重ねてきたこの活動を次の世代に引き継ぐことも大切な役割だと古川さんは感じています。
 「このどんぐりの森でなくてもいいんです。ここで遊んで、育った子たちが大人になって、どこか別の場所でもいいので、こういう場所を作っていたらうれしい。自然の中で遊ぶことの大切さを感じてもらう、そういう種を今、いっぱい蒔いているんだと思います」

小さい大人にならせちゃいけない

 古川さんたちがプレーパークを始めて15年。親たちの世代も変わり、それに伴い時代のニーズの変化もまざまざと感じることがあります。
 「そういった地域のニーズをキャッチしながら、子どもたちと自然をつなぐ役割を果たしていきたいし、そういうメッセージを社会に発信することが大事だと思っています」
 そう言って古川さんは多くの声にも真摯に向かい合っています。
 とはいえ、いつの時代も子どもたちは変わりません。
「周りの環境は変わっているかもしれないけど、子どもは純粋に心の思うままに遊びたいっていう姿勢は変わらないんです。充分に遊びこむことで、心を満たし、人との関わりの中で温かさを感じながら育ちます。『今の子どもは……』なんていいますけど、いつだって思いのままに遊ぶのが本来の子どもの姿なので」

 人生の中で、子どもでいられる時間はとても少ないものです。時の流れは誰にでも平等で、誰もが嫌でも大人にならなくてはいけません。「だからこそ、子どもでいられる今を大切にさせてあげたい」それが古川さんの願いなのです。
 「子どもって遊ぶことが生きることそのままだから、先のこと、将来のことはまず置いといて、今を存分に生きてほしい」
 子育てというものは、大人の意向がどうしても濃く入ってくるもの。「こう育ってほしい、いい子にしてほしい」それも親の当然の願いです。でも、子どもは不完全で当然の存在。「これを守りなさい、ちゃんとしなさい」と色んな事を求めても、〝ちゃんとできない〟のが子どもなのです。ちゃんとできなくても、失敗しながら様々な経験をしていくことで、大人になるまでにできるようになるものです。その不完全な子どもたちが自由に、ありのままで過ごせる場所が今の時代、なかなかないのが現状なのかもしれません。
 だからこそ、野外の広さと自然が受け止めてくれるプレーパークなのです。
 「子どもたちを小さい大人にならせちゃいけない」
 その言葉は使命感を帯びながらも、肩肘張らない古川さんの柔和な笑顔が森の中で輝いていました。

取材・記事:村井暁子

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